昭和五十六年六月二十四日 朝の御理解


御理解第三十六節「日本国中のあらゆる神を皆信心すると言うが余りの信心じゃ。人に物を頼むにも一人に任すと其の人が力を入れて世話をして呉れるが、多くの人に頼めば相談に暮れて物事捗らず、大工を雇うても棟梁がなければならぬ。草木でも心というたら一つじゃ。神信心もこの一心を出すと直ぐおかげが受けられる。」


 条理を尽くした御教えだと思います。家を建てるのに棟梁が何人もおってはというような表現で、全くその通りだとおもいます。船頭が二人おったら船は前進するどころか、ぐるぐる廻りになってしまいます。ところがやはり人間の弱さと言いますか、難しいですね。久留米市長でありますあの近見市長が一番初めの市長選の時にお願いに見えられた時、大変苦戦をしております。どうぞおかげを頂きますようにというお願いであった。神様にお取り次ぎをさせて頂いたら、船頭が一つの船に二人乗っておる。一人はこう棹さしておる。一人はさしておるようであって前には進まずにぐるぐる廻っておるから、私が芯を一つにしなさい、これにもやっぱ頼んどかなん、これにも頼まにゃんという同じ言うならば、芯の人が二人ある。それではやっぱ船は前には進まない。そしたらはあ分かりましたという、意味でそしてまあ言うなら、責任を持ってその事にあたっておる方たちの中から芯を一人にされてそれからあの大変順調になってまあ当選のおかげを受けられたという事がございます。ところがなかなか難しいですやはり、どっちを止めさせるわけにもいけん。迷いますね。もうそれこそ、条理を尽くした御理解であり、お話しなのですけれども、成る程と合点がいくのですけれども、なかなか難しいです。合楽に御信心を頂いてもういよいよ金光様一本と決めておるようであっても、それは頼む時だけの金光様であってね、神様から頼まれる時の私共もやっぱり一本でなからにゃいけません。
 いや私は合楽一本ですと言いながら、まあだなら改式も出来ん。いやこの世では合楽だろうけれどもあの世ではまあいうなら、仏様という人達もまだ沢山あります。一本じゃないでしょうがね。それこそ生死を通してね一家を挙げて私は言うならば、此の方一心と定めと、そういうおかげの頂けれるお繰り合わせも願わなければなりませんけれども又、改式をしておるから一心かというとそうでもない。もう私の方は改式もしてまあいうなら合楽一本ですと言うても、直ぐにおかげが受けられるとおっしゃるけれども、そぐにおかげが受けられない。その辺のところが私は信心のまあ難しい所でもあると思いますよね。
 昨日、ある方のお取り次ぎをさせて頂いた。今年は丁度定年というでしょうか、まあ今年一年勤めると恩給が頂けるという方なんです。ところが最近周囲の人間関係がもう兎に角その方一人にその皮肉と言うかまあいろんなこう問題がある。もうそれに堪えられなくなった。もうこんなに苦しい苦労するごたるならば、そりゃ今年一年辛抱すりゃ恩給も付くようになるかもしれんけれども、恩給だんじゃなか。もう人間関係の苦しみこりゃ何でも苦しみというたら同じですよ。病気の苦しみ、経済的な苦しみ、人間関係の苦しみもうそれこそ死んだ方がましというような難儀、難儀といやだからどういう難儀でも同じです。死ぬ程に涙が出る程有り難かったという涙が出る程有り難いと、それがあらゆるどういう事柄からでも頂けるのが信心です。私はその方、別に或る方の信心のここに御縁を頂いとる方のお願いでしたから、その方に申して下さいと御神米に頂いた事を書いてその訳をいうてやりました。お願いをさせて頂いとりましたら「記」という字を頂く。言べんに己という。ね、言べんに己これは記というですね。人がいろいろ悪口を言う、批判をする、非難をする、もう自分の立場はないように、もう居たたまれないように、もう例えばこれは会社なら会社に、もうそりゃ恩給だんじゃなかもうこの苦しみから早く逃れたいというその苦しんでおられている様子を見て、ここで信心しておる方が神様にお願いをして差し上げましょうという事になって昨日のお願いであった。皆さんどう思いますか。言べんに己ねこれは人が言うのではない。自分自身己の中に自分が言うて聞かせる。もう言うなら定年間際で今年一年でいよいよ人格の仕上げである。いよいよ豊かに大きうなれる絶好のチャンスである。ね、そういう事には耳を貸さず、聞いても腹ん立つような問題であってもそれを合楽で言われる合楽理念をもってその事を自分の心の上に押し当ててみる。心の定規としてそれを頂いていく。成る程これは言われるのも当たり前、いやこりゃ理不尽だけれどもここを言うならば、苦い思いをするけれども、これを頂くのが信心だというふうにです。信心で頂いてまいりますとその事も成る程苦しい事ですけれども又、有り難いというお礼も言える。最後の仕上げに一つここを頂き抜かせて頂こうと自分も大きくなれれる、いうなら勤めを全うする事も出来る。恩給も又続いて頂ける事も出ける。そういうおかげの頂けれる素晴らしいチャンスに恵まれておりましてもね。もう兎に角何の難儀でも苦しみでも同じ、それこそ死ぬ程苦しいという事になると同じ、だから恩給んだんじゃないという気持ちになるけれども、後々で後悔する事であろう。言うならば、あの時に自分の運命が悪い方へ弱い方へ変わってしまうといったような事にもなりかねない。ね、そういう時に私は思うんですけれどもね。教えを行ずるという事に一心を立つればという事になって来なければならんと思う。それは改式しとらんでもよい。ね、ただ言うならば、教えを頂く事に一心を立つればすぐにおかげになるのであって、おかげはもうそこにある。見えて居るね。そういうおかげを頂いて後、又そういう働きを次ぎ々と受けていく中にですね。本当の意味に於いての此の方一心という事になるのじゃないでしょうか。
 これ程の言うならば、間違いのない神様、これ程の有り難い神様と分かった時にこの世の事だけじゃない。あの世もこの神様にお縋りしてという事になってまあ改式ともなり、一家中が挙げて一心、いわゆる合楽一本、金光様一本という事になると思うです。
 だから、その形の上だけが一本になっただけではなく改式しとる人達はもうそれこそ直ぐにおかげがどんどん頂かれにゃならんですけれども、そうではないところをみるとですね、その教えを頂く事に一心を立てなきゃならない。そりゃ一心を立てると本当にそりゃおかげ頂きますね。昨日の御理解じゃないけど、その気になるという事です。今日は北野の関さんの所のまあ恒例の宅祭ですが、まあ皆さんもご承知のようにもう一途な方ですから一生懸命なんです。それでせめてその宅祭の時にゃ遠方に行っている娘たちも子供達でもどうでも参らせたい。参ってもらいたいという願いがあるのですけれども、先だってからいろんな事情でお参りしようと思っておったけれども、お参りが出来ないからというね、近所に息子さんがおられますけれども、嫁さんの関係であんまり近こう近こうしとらない。といったような事で肝心の子供達も、宅祭にお引き寄せが出来ないようなまあ情勢下にあった。けれども、ここでは親の思い、親の一念ですね。一生懸命お願いをなさっておられました。もう万事万端にそれこそ、置いた物を取るようにいろんな働きが起こってきておる。昨日も、一人にこの調子でいきゃもう本当におかげ、神ながらなおかげ頂きますよ。それこそまあ準備なら準備の上にまで、それこそ用意おさおさ怠りない、言うなら働きが周囲から起こっておる。先日その事情があるからこられんと言っておった娘から電話がかかって来た。もう大変おかげを頂いて、主人がお祭りにはお参りさせて頂けと言ってくれますから、是非前の日からおかげを頂きたいと言うから今日はみえるのじゃないでしょうか。山口の方に縁についておる、長女の娘さんが久留米でパーマ屋をしよる。そのパーマ屋さんが大変おかげを頂いた人ですけれども、お母さんの信心があまりに熱烈なもんですから、此の頃敬遠ぎみである。もうそげん毎日参らんでんちゅうごつなっとった。ところが最近はその周囲の人が助かる事の為に自分がお導きをして参って来るというように、つい最近そういう信心のいわば気負い込んだものが生まれて来た。
 いついつは、言うならば古賀茶屋の宅祭にはまた是非おかげ頂きたい。これも二、三日前でしたけれども、あんまり近々しとらない息子の嫁が、お母さんこりゃ大変少しばかり大根を作ったら、したけん(それでの意)素人が作ったじゃけん出けません。なんか髭だらけん細うまか大根じゃったばってん、おろしにしたらとてもからかった。だからお母さんおろしが好きであんなさるけん一本持って来たというて嫁が持って来た事の喜びをお届けしておられる。このもようだったらそん時に、こりゃいよいよお宅祭に近づいて来たけんのち言いましたら、ああならおかげ頂きますと、いうて息子さんが創価学会に入っとった、そして此の頃は父ちゃんも創価学会は止めとりますからとこう言う。まあ願うてもない事、そして三人の子供達がお祭りにはおかげが頂けるような雰囲気が生まれてきた。母親の一心です。やっぱ一心を立てその気になるとそういうおかげも受けられると同時に、今日の私が皆さんに聞いて頂いた一心はです、なら金光様一本にしたから一心じゃない。本気で教えに取り組むという事。そりゃ辛いもあろう、苦しみも、もう本当に金の問題じゃない、恩給だんじゃないというような時も、例えばこれは他の問題の場合でもありましょけれども、そこを教えに基づいて生きていく事に一心になる。この生き方を自分の信条にするという生き方を一心にする。もう条理を尽くしたみ教えですから誰でもそう所じゃなかと合点がいくのです。このみ教えを頂くと、けれども実際はその通りの事になっていない。おかげになっていないという所から今日は一心を立つるとすぐにおかげが受けられる。神様に向ける心というのは神様の心を奉じて行じていくという事に一心になる。これ程しに有り難い神様、これ程しの信心という事が分かった時に始めて改式が出来るという事になったらいよいよね、いうなら合楽一本金光様一本という本当の一心、いわば棟梁が一人に定まった。ね、そこから問題の無い世界、問題の無い、いや問題はどういう事があってもよかけんで棟梁に尋ねたらそれで済む。家庭の中にどんな問題があっても一人は右と言う、一人は左というけれども、なら親先生はどう言いなさるかで決まってくる。ね、そういう一心を出させてもらい、そういう一心の信心をさせて頂きたい。  どうぞ。